素見歓迎  *ハ リ ミ セ*

自作小説発表ブログ

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父の幽霊

 父の納骨が近付き、母から頻繁に電話がかかるようになった。
ある日の電話で母は珍しくオカルトめいた事を口にした。
「お父さんがね、その辺に居るのよ」
やれやれ、とうとうボケてきたか、と僕は思った。
オカルトめいた事を口にするから、そう思ったわけではない。
こんな時期にそんなことを言い出すのが、僕からの『もうすぐお別れだから、お父さんが挨拶に来てるんだよ』的な土着信仰的慰めの言葉を期待しての事かと思い、暗い思いにとらわれたのだ。

 母は、決して精神的に強い方ではない。
父の病気が重くなった時には、毎日のように僕に電話をよこしては、阪大病院で開発された新療法の臨床試験に応募できないか、知り合いの医師の紹介状を持って頼んでくれだとか、お前もネットで新療法を探してくれだとか言ってきたものだ。
だが、学者の家に育った母は、どんなに取り乱した時でも、お参りだとかお守りだとか、宗教めいた事に関心を向けたことはなかった。
その母が、と思ったのだ。

 母は続けて言った。
「ふとした時にね、ソファの上とか、コタツの横に居るの。何も言わないんだけどね。で、そっちに目を向けると居なくなるの」
僕は少しほっとした。
母の言葉には情緒的文脈が無い。
これは、ただ実際に父が見える、という事を伝えたいだけのようだ。
だとしたら、合理的な説明も考えられる。
「母さんさ、緑内障で周辺視野の網膜が効かないでしょう?」
「うん」
「だから、暇になった脳の視覚領域が、その空白を見たいもので埋めちゃうんじゃないかな」
「ああ、そうねえ、そういえば見えないはずの辺りに見えてる気がするわ」

 幻肢痛、という事がある。
切断して失った四肢の先が痛む現象だ。
局部麻酔では抑えられない事から、入力元を失った脳の感覚野が間違って発生させる痛みと考えられている。
そんな極端な例でなくても、脳にはもともと情報を補完する働きがある。
例えば、2冊の本が半ば重なって置いてあるようなとき、下の本の全体像が見えていなくても、我々はそこに“長方形の”本を見ていると自然に思う。
扉の陰から半身を覗かせている人を見ても、半分だけの人間がいるとは思わない。
きっと母の脳の視覚領域は、あるいは視覚を意識化する前頭葉のどこかは、その入力の無い空白の領域に、40年以上連れ添った『居るはずの』人影を描いたのだろう。

 説明すると、母は納得した。

 脳がその人の存在を前提として働くようになってしまう事は、必ずしも愛情とは係わりない事かもしれない。
常に同じ騒音の在る所で暮らす人が、その音を意識下に締め出すことと大差ない、脳の自然な働きなのかもしれない。
でも僕はそこに、動物的な、何の計算もない他者への愛着のありようを感じた。
霊の存在も、魂の実在も信じていない僕だが、「霊」や「幽霊」というものが、今の母のように「居ないけれど、居るとしか感じられない」死者を感受することの呼び名なのだとしたら、そこには「勘違い」と笑えない切なさがある、とも思った。

 きっと宗教とは、こうした喪失に伴う感覚と現実のズレを吸収するために考え出された優しい嘘の体系なのだろう。
法要、納骨と、既に無い者をそこに在るかのように扱う儀式の数々を経れば、母は父の不在の不安からやがて解放されるのだろう。

 僕も、脳がその不在を拒むほど近しい人を失うときには、そこに見えるものを彼女の「霊」だと、変容はしても失われぬ彼女の「魂」だと、信じる事が出来るのだろうか。
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傘を差さない理由

 秋から冬へ季節の移ろう頃、と言いたい処だけれど、今年の秋はほんの数日の秋らしい晴天をもたらしただけで何処かに消えていた。
今朝の薄曇りはすっかり冬の冷たさで、私は両の手をポケットに入れるために、持っていた折り畳み傘と携帯電話を鞄の中に押し込んだ。

 出がけにお隣のおばさんに捕まったおかげで、少し遅れてしまった。私は閉まったシャッターの並ぶ商店街を早足で過ぎる。
ぽつ、と頬に冷たい粒が当たった。
日の光が透ける薄い雲から、細かい雨が降り始めていた。
私は小脇に挟んだピンクのビニール傘を開いた。
傘を打つ音がするほどの雨ではないが、霧吹きで吹いたような小さな水滴が、風に舞って肌を冷やす。いやな雨だった。

 商店街を抜けて、遠くに学校が見えてくる辺り、傘も差さずに歩くひょろ長い制服姿が目に入った。
妙に背筋の伸びたその歩き方、遠目にもわかった。柾木祐介だ。
祐介と私は幼馴染みで、家も極く極く近所なため、未だに男の子女の子という付き合いが出来ない。他の男子にはちゃんと『君』を付けて呼べるのに、祐介のことは呼び捨てにしてしまう。お陰で、その事を知る一部の人からは、私は男勝りな、勝ち気なタイプなのだと誤解されている。

 「柾木!」
足を速めて追いつくと、私は祐介に呼びかけた。
「ああ、りんちゃん、お早う」
祐介は私を『りんちゃん』と呼ぶ。これは昔からだ。それでますます私が勝ち気な娘だと思われる。
「どうしたの?傘も差さないで」
いつも通り、裏で何を考えているのかわからない、上っ面の笑みを浮かべて振り返った祐介に、そう声をかけた。
「ん?傘?」
祐介は今雨に気付いたとでも言うように空を見上げた。
「僕は、こんな小雨程度にちょっと濡れるのは気にしないからね」
顔を戻すと、例によって微笑みを偽装しつつ、言葉を継ぐ。
「それに、人混みに傘を差して、擦れ違う人に迷惑をかけるのも嫌いなんだ」
理屈を並べるのが楽しくなってきたのか、祐介の口調は次第に芝居がかってくる。
「傘を差さない理由なら、まだまだあるよ。折り畳み傘をいったん使うと、きれいに畳み直すのがすごく面倒だ。片手がふさがる、風向きによっては視界が悪くなる、歩幅もついつい狭くなる、その割に上半身以外は大して防水効果が無い」
終いには、なんだか威張ったような物言いになってきた。
「僕は特に濡らしちゃいけない物を持ってるとき以外、傘は差さない主義なんだ」

 「そっか、じゃあ」
私は、小雨の粒を髪に留まらせて胸を張る彼を傘の下から見上げながら、言った。
「傘を差さないのは、折り畳み傘を家に忘れてきたから、じゃあないんだ」
一瞬、祐介の顔に動揺が走った。
「あ、当たり前じゃないか」
「じゃ、これだけ渡しとくね」
私は、鞄の中から携帯電話を取り出して、祐介に渡した。
「え、これは」
「おばさんから、あんたが忘れてった携帯と傘、渡してくれって言付かって来たんだけど、傘の方は要らないみたいだね」
言い置いて私は、小走りに彼を抜き去る。
振り向かずとも、顔をしかめた祐介が、それでも無言で霧雨を浴びながら歩き続ける様子が、目に浮かぶ。
あれで、
「ごめんごめん」
なんて言いながら追い駆けてくる可愛気があったら、もうちょっとモテるだろうに、なんて思った。

ゴロワーズ

  忘れ物を取りに、放課後の教室に戻った。
  誰も居ない筈の教室に、人の姿があった。
  彼女がそこに居た。ひとりで。
  煙草の香りを纏って。
  教卓に凭れるようにして彼女は立っていた。
  近くの机の上には一冊の薄い文庫本。
  『コクトー詩集』と読めた。
  「何?伊藤君」
  僕が彼女を訪ったかのように、彼女が問う。
  「忘れ物を取りに来たんだ」
  それだけを答える僕。
  沈黙。
  「・・・さん、何か、あったの?」
  そんなことを訊いてしまう。
  「何もないよ」
  呟くような答。
  そうしたら、もう、僕には何も訊けなかった。
  何も自分で引き受けられないガキには、踏み込めない深さ。
  そんな処に彼女の痛みはあるのだ、と、ぼんやり思った。
  「・・・俺は、味方だから」
  鼻で笑われる覚悟でそう言った。
  また沈黙。
  突然、彼女が歩み寄る。
  何も言わぬまま、彼女は唇を僕の唇に重ねた。
  「ありがとう」
  耳元で彼女の声がする。
  「あ、あのっ、俺っ」
  体がこわばる。舌がもつれる。
  「あたし、大丈夫だから」
  遮るように彼女が言う。
  「もう少し一人で居たいから」
  彼女の眼が潤んでいるように見えた。
  「う、うん、ああ、そうだね」
  高揚感と、無力感。
  僕は、操り人形のように、ドアに向かう。
  「伊藤君」
  振り返る。
  「今日のことは、秘密ね」
  何が、秘密?
  煙草を吸っていたこと?
  放課後の教室で一人詩集を読んでいたこと?
  口づけ、した、こと?

 彼女の名前は、黒寺 香美優。
僕にとって衝撃の事件があったのは、高2の3学期。
次の一年間、僕らは違うクラスになり、僕は一度も彼女と話すことなく、卒業した。

 あの日、僕は結局忘れ物を取れずに帰った。
翌日からの彼女は、いつもと変わらぬ優等生に戻っていた。
戻っていた?
そもそも、あの日、煙草を吸っていた、僕に口づけをした彼女は実在するのだろうか?
幾度も幾度も思い出を反芻しすぎて、僕には記憶と妄想の区別が付かなくなっていた。

 あれから、もう5年経つ。
僕も多少は恋もした。
彼女と呼べる人を作ったこともあった。
でも、いつでも香美優を、失った彼女の代わりを捜していたような気がする。
二度と会えない香美優を、求めていたような気がする。
今日まで。
今日僕は、香美優に会うのだ。

 初めての、高校2年の同窓会の知らせは、2週間前に届いた。
僕は、葉書を見るや『参加』に丸をして、それから丸二日、投函するかどうか迷った。
投函してから、本当に行くか、止めるかと迷った。
今、同窓会の会場となる居酒屋の前に立って、僕はまだ迷っている。

 実際に、黒寺香美優に会う事で、何か決定的なものを失ってしまうんじゃないか。
美しい思い出として置いておくべきものを、壊してしまうんじゃないか。
そんな恐怖があった。
いや、壊れるべきものは壊すべきなのだ。
僕だって、美化された思い出に縋って生きるには若すぎる。
彼女に訊くのだ。
あの日、何があったのか。
あの時、何に悩んでいたのか。
・・・僕は、あの時、何かの選択肢を誤ったのか。

 一歩店に入ると、熱気に息が詰まった。
僕はスーツを脱いで腕にかける。
喧噪が頭の中で反響する。
『連石高校二年三組様 鶴の間』
閉まった襖の上に掲げられた木札に鶴の字を探す。
が、札の字を見る前に、僕にはその部屋が分かった。
漏れ聞こえる声の中に懐かしい響きを聞きとったか。
それとも襖越しに、同族の匂いを嗅ぎとったか。
だとしたら、同じ穴に棲む獣が同じ匂いを放つように、僕等もまたあの一年で、巣穴の匂いを身につけたという事か。
学校という蟻塚の、教室という巣穴の匂いを。

 襖を引くと、他人の顔が並んでいた。
「おお」という重なり合う歓声に迎えられ、僕は人の隙間に身を隠す。
次第に、見知らぬ若者たちの顔が、記憶の中の高校生に重なってくる。
鈴木、高城、松山、その他の名も無き学友達・・・そして、黒寺。
黒寺は末席近く、卓の一方の端に居た。
顔は・・・よく分からない。
僕はまだ彼女を正面から見れないでいた。
ただ、周辺視野で捉えるだけでも、彼女の美しさが幻想でなかった事は分かる。

 「先生、まだ煙草吸ってんの!?」
女子の嬌声に、目を上座に向ける。
タートルネックに麻のジャケット。首にマフラーを巻いた伊達オヤジが居る。
思い出した。
絽段だ。
国語の教師にして二年三組の担任、何かというと『フランスでは』と語り出す、格好つけの嫌味な男だ。
何だ、こいつも呼んだのか、と、僕の気分はやや冷める。
「しかも変な煙草ー」
見ると、絽段の手にあるのは、水色に兜の絵の描かれたパッケージ。
「変なとは失礼な。これはゴロワーズと言ってな、古よりフランスのあまたの文人が愛せし煙草だ」
「でたよ!フランス!」
もう頭に白い物も目立つ歳になって、この俗物加減。
僕は不覚にも、笑ってしまった。
絽段は、僕の他数人の顔に浮かんだ失笑に気付かぬ様子で、ブランド物らしいライターを取り出し煙草に火を点けた。
「俺は、昔からこれしか吸わんからなぁ」
だらしなく口から煙が漂い出る。
僕は、もっと下座に座らなかった事を後悔した。

  彼女は、教卓に凭れかかるようにして立っていた。

 何故か、あの日の黒寺の映像が脳裏に閃く。
マドレーヌでなくても、香りは記憶を呼び覚ます。
粉っぽく曇った、憂鬱な香り。
これはあの日の煙草の香りだ。
ゴロワーズ、ゴロワーズ。
今まで、あの日と同じ煙草の煙を嗅いだ事がなかったと、初めて僕は気が付いた。
でも何故?

 「・・・それからさー、先生になんかエロい本見せられた事あったよねー」
「うっそ、それって、セクハラじゃん?」
元女生徒の話が続く。
「失礼な。事実無根だ」
「あったじゃん。なんか、フランスの詩人だとか言って~」
「ああ。ジャン・コクトーの事か?エロいとは何だエロいとは。彼は愛と自由を謳った偉大な・・・」

  机の上のコクトーの詩集。

 もう一つ、思い出した事があった。
彼女との口づけは、煙草の味がしなかった。
今、僕は知っている。
煙草を吸った女性の唇は、はっきりそれと分かるものだ。

 記憶の中の彼女の姿は、今も全く変わらない。
でも、その姿の意味するものが、いまやすっかり変容した。
今の僕には、彼女は教卓に凭れているのではなく、教卓を押さえているように見える。
誰かが潜り込んで揺れた教卓を、必死に押さえているように。

 あの煙草は、彼女でない誰かが吸っていた煙草。
あの詩集は、誰かが持ってきた詩集。
あの気まずさは、逢い引きを邪魔された気まずさ。
あの口づけは、僕を追い払うための離れ業。
そして、口止め料。

 同級生や先輩が相手なら、他の男子とのキスなんて、ウソだって出来ない。
でも、格好つけの大人が相手なら、大胆な娘だね、と褒めてももらえるだろう。
吐き気がした。
部屋が揺れる。

 絽段が僕に声をかける。
「おう、伊藤、その後、元気にやってたか?」
僕は、ほとんど無意識に、
「先生はその後も、教卓に隠れたりしてますか?」
と返してしまう。
部屋がますます揺れる。
絽段が噎せ、隣の女子に「ほら、変な煙草吸ってるから」と言われている。
僕は黒寺の方を見た。
遠かったが、彼女には聞こえていた。
目を見開き表情を凍らせ僕を見つめる彼女に、笑いかける。
爽やかに笑ったつもりだった。
でもきっと、それはとんでもなく醜い笑顔だったに違いない。

スウィッチ!

 坂井夫妻の元に『月刊テニス』記者が訪れたのは、坂井順二が日本オープン優勝を決めた翌々日の事だった。
挨拶が済み、応接室のソファに腰を下ろすと、記者は記事のゲラ刷りらしき数枚の紙を2人に渡した。
「まず、これを読んでください」


 『テニス界の超新星は18歳のスウィッチプレイヤー』

 《2つのフォアを持つ少年》
 今年、全日本オープンを制したのはたのは、若干18歳の新星、坂井順二であった。
彼は、テニス界では珍しい本格的スウィッチプレイヤーである。
その独特のプレースタイルもあって既に海外での評価は高い。
ライジングを叩き、重いフラットボールを返す右と、精密機械のようなボールコントロールで相手の逆をつく左は、それぞれ"ブーミングライト"、"スナイピングレフト"の異名を持つ。
今大会でも、個性の違う二つのフォアを使いこなし、圧倒的な強さで優勝を決めた坂井だが、彼のこれまでのテニス人生は、決して平坦なものではなかった。

 7歳から、双子の兄、順一と共にラケットを握り、2004年全日本ジュニアでは兄に次ぐ準優勝を勝ち取るなど、将来を有望視されていた坂井選手。
しかし、同年冬、12歳の時に思いがけぬアクシデントが彼を襲う。
兄弟の乗るマイクロバスが、テニススクールに向かう途中にトラックと衝突する大事故を起こしたのだ。
この事故で彼は、兄、順一を失い、自身も左腕をほとんど切断する大けがを負った。
手術には成功したが、テニスプレイヤーとしての将来は絶たれたかに思われた。
しかし、彼はその後拠点をアメリカに移し、リハビリに専念、ついに去年、選手として復帰を果たしたのだ。

 トーナメントに帰ってきた時、リハビリの一環として練習し続けた、左手一本でのフォアハンドが、彼の新たな武器となっていた。
もともとハードヒッターとして知られた右に加え、絶妙なコントロールの左。
復活後の、新たな武器を手に入れた彼の快進撃は、皆様もご存知の通りである。
今日は、全日本大会を終えた彼に、私、佐藤がじっくりとお話を伺った。

 《左へのこだわり》
「お疲れさま。そして、優勝おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「今日は、一躍スターになった坂井君にその強さの秘密を伺いに来ました」
「あはは、スターですか(笑)」
「そうですよ。明日から生活が変わりますよ。取材攻勢で」
「やだなあ、そういうの」
「そうなんですか、さっそくスミマセン(笑)」
坂井選手は、見た目通りの爽やかな青年で、インタビューは和やかな雰囲気で始まった。
「まずお聞きしたいのは、坂井選手の左へのこだわりについてなんですけど。
今大会でも何度か見られましたが、決勝戦の第4セット、2度目のブレイクポイントで、回り込んで左のフォアを打ちましたね?」
「はい」
「あんな風に、試合の流れを変える重要なポイントで左をよく使ってますよね。
あと、試合後、勝った時は必ず左手にこう、チュッと、キスしていますが」
「よく見てますね(笑)」
「坂井選手の、その、左手へのこだわりの理由をお聞きしたいんです」
「はい、そうですね・・・」
坂井選手は、何か考えるように少し顔を伏せて、黙り込んだ。
私は、思い切って踏み込んだ質問を投げてみた。
「亡くなったお兄さん、順一さんは左利きでしたよね?
繊細なボールタッチとコントロールの良さが非常に評価されていた選手とお聞きしたんですけど、そのあたり、お兄さんへの想いと何か関係があるんでしょうか?」
「よく調べてきてますね」
坂井選手はそう言って笑うと、意を決したように顔を上げた。
そして、思いがけないことを口にしたのである。

 《二人のテニス》
「実は、僕の左手は無くなったんです」
「あ、それはあの、事故のことですよね」
「ええ、でも、言われてる『麻痺していたけど、リハビリして戻った』って事じゃなく。
あの事故で、僕は左手を切断してるんです」
「えっ?それはどういうこと?」
「もう、僕の腕はぐちゃぐちゃになってて、それで、左腕だけは無事だった兄の腕を、移植したんです」
いいながら、坂井選手は腕の傷を見せるようにシャツの袖をめくった。
肩のすぐ下辺りに、腕を一周するような縫合線が、確かに見える。
「ええっ!それは本当ですか?」
あまりのことに私は大きな声を上げてしまった。
「もちろん、僕も後で話に聞いただけですけど。(笑)
事故の後2日間は意識不明でしたので」
もうすっかり乗り越えたのであろう、私の動揺をよそに、坂井選手はあくまで淡々と話す。
「手術が終わって何週間も経ったのに左手に感覚がなくって、もう駄目なんだろうな、って(思って)。
その時に、父が打ち明けてくれたんです」
「驚いたでしょうね」
「驚くっていうか、『じゃあ、がんばらなきゃ』って思いました。
父が、『お兄ちゃんにもう一度テニスをさせてやれ』とか言うんですよ。(笑)
もう、頑張るしかないじゃないですか。
それに、お兄ちゃんと僕なら、絶対通じない訳がない、って。
僕らよく気が合ったんですよ。同じ物食べたいと思ってたり、同じ子を好きになったり。(笑)
だから、お兄ちゃんの腕となら必ず神経は繋がる、って確信しました」
「自分の腕だと諦めかけてたのに、お兄ちゃんのなら大丈夫、と?(笑)」
「お兄ちゃんは強かったですから、僕と違って」
「それで、実際動くようになった訳ですもんね」
「動くようにはなりました。でも次は、あのお兄ちゃんのボールコントロールを再現しないと、って。
そっちの方が辛かったです。お兄ちゃんのフォームを思い出して、死ぬ程練習しました」
「その成果がスナイピングレフトと言われる、左手の精確なショットな訳ですね」
「そう言っていただけると、ほんとに嬉しいです。
お兄ちゃんの左手に、恥をかかせていないぞ、って思えて」
「重要なシーンで左を使うことが多いのも?」
「お兄ちゃんは僕と違って、いつも冷静で心が強かったですから。
だから、崩れそうになった時はつい頼っちゃうんです(笑)」
私には、彼の強さの秘密が分かった気がした。
「じゃあ、この優勝カップはお兄ちゃんのでもある訳ですね」
そう水を向けると、坂井選手の目に、光るものがみえた。
「そうです。だから、そろそろちゃんとお話して、皆さんにもこの腕のことを知って欲しかった。
お兄ちゃんの事、知って欲しかったっていうのはあります。
・・・やだなあ、卑怯な質問ですよ、そういうの」
照れながら涙を拭く顔は、やはり18歳の若者だった。
私は、坂井選手が世界に通用すると確信した。
なにしろ、彼と対戦する者は、日本最高レベルのプレイヤー二人を相手にすることになるのだから。
 (了)


 両親が記事を読み終わったのを見計らって、記者が口を開く。
「ほぼ、順二君に聞いたことをそのまま記事にしています。
ですが、デスクから『これが本当なら、医学的にも奇跡に近い事例なんだから、執刀医にも話を聞いて来い。裏をとって来い』と言われまして。
それでまず、ご両親にお話を伺おうと、お時間を割いて頂きました」
記者の言葉に頷くと、父は妻の顔を見た。
彼女は両手に顔を埋めたまま、時折嗚咽を漏らすばかりで、とても話ができる様子ではない。
記者に向き直り、父が言った。
「あれは、ウソなんです」

 「手術は成功しましたが、順二は感覚の戻らない左手に絶望していました。
リハビリを始めるように勧めても、なんというか・・・魂が抜けたようになっていて。
その上、兄が死んだことをそろそろ告げねばならない時期にも来てました。
テニスが奪われ、一番好きな兄が奪われたと知ったら、もうあいつは立ち直れないんじゃないか、私はそう思いました。
それでとっさに、この腕はお兄ちゃんに貰った腕なんだ、と、言ってしまったんです。
古傷とか、爪の形とか、よく調べればあの子にも嘘だと分かったと思うんですよ。
でも、やはりあの子も心の支えが欲しかったんでしょうね」
「それで、順二君はやる気を出したんですね?」
「兄が死んだと聞いた時は泣いてました。
でも、もうその時には目が違ってましたね。
『順一にテニスをやらせるかどうかは、お前が決めろ』と言ったんです。
あの子は即答しました。
『お兄ちゃんを世界一にする』って」
父の言葉に、記者は何かを堪えるようにしばらく上を向いていた。
「お父さん、この記事は、お父さんの口からその事を順二君に伝えるまで、止めておきます」
「ありがとうございます。どのみち、そろそろちゃんと話さなければいけないんでしょうね」
「順二君があの話を他所でもしたら、必ず事故当時の病院に事実確認され、お父さんの嘘がわかってしまう。
もうあまり時間はありませんよ」
「わかりました」
・・・3人はしばし沈黙の中で茶を啜った。
「本当の事を告げて、順二の心が折れてしまうようなことはありませんかね」
父が、記者に問うた。
「私は大丈夫だと思います」
記者は、昨日会った坂井選手の表情を思い出しながら応えた。
「お父さん、発表できるようになったら、私は記事をこんな言葉で締めたいと思うんですよ」


 "この事を知っても、坂井選手の心は揺れないだろう。
何故なら、たとえ嘘から始まったとしても、鍛錬の末に兄の精密なショットを再現するまでになった彼の左手は、今やまさしく兄の人生を受け継ぐ、二人の左手となったのだから。"
 (了)

ハントアラウンド

 「あなたは、虎になってください」
バイト初日に俺はそう言われた。

 ゲームのテストプレイヤーになるなんてのは、全ニート男性共通の、究極の夢だ。
俺は狭き門をくぐり抜け、その究極の夢を叶えた。
ゲームのテストプレイだけで金を貰えるアルバイト。
嘘のような本当の話だ。
俺がこのバイトをゲットできた理由は、はっきりしている。
募集条件が過酷すぎたのだ。
『一ヶ月間住み込みで勤務出来る方。体力に自信のある方。休暇は不定期、一日の勤務時間は12~24時間。バイト期間中の外界との接触は禁止』
ただ、『日給3万円』。
「インシテミル」かよ、とか思いつつ、俺は応募した。
採用枠1名だったが、俺が選ばれた。
きっと、元自衛官で現無職、てのが俺一人だったに違いない。

 謎のゲーム装置とやらは滋賀県湖東地方にあった。
新幹線やらハイヤーやら乗り継いで、着いた時にはすっかり日が暮れていた。
田園風景の中に突如現れるコンクリート造りの巨大な建造物。
さすがにアーケードゲームメーカー御三家の一つSAGAだ。研究施設といっても東京ドーム0.8個分ほどの大きさがあった。(伝わりにくかったらスマン)
その中の、どこをどう歩いたか分からん先の倉庫のような部屋が俺の職場だった。
正確には、その中の、大きな卵形のカプセルの中が。

 『虎になる』と言っても、タイガーマスクとしてデビューしろというのでもなければ、落語『動物園』のようにトラの着ぐるみで檻の中を歩けというのでもない。
まあ、どちらかと言えば後者が近いが。
俺はゴーグルやグローブやブーツやマウスピース、その他十数点のサイバーなツールを体の各部に装着させられ、カプセルの中に入れられた。
係員のカウントダウンがあり、装置に電源が入ると、目の前にジャングルが広がった。

 体感シミュレーションゲームだと分かった時点で、俺の想像したゲーム内容は、まず密林でのゲリラ戦。
だが、銃も持っていなければ、視野のどこにもレーダーサイトが無い。
係員達がこのゲームの事を、『ハントアラウンド(仮称)』と呼んでいたことから、狩猟ゲームかとも思った。
最後に、自分のゲーム内での両手を見て、『虎になってもらう』が、何の比喩でもないことが分かった。
薄黄色の毛、巨大な肉球、指先に力を入れると出てくる、禍々しい爪。
俺は虎になって、ジャングルで狩りをするのだ。

 画面は異常に細密だった。
飛んでいる小さな虫から、枯れて地に積もった葉の一枚一枚まで精巧に描かれている。
俺には、実写との違いが見つけられなかった。
しかも、ゴーグルの右目と左目の視差が計算されていて、全て完璧に立体に見える。
これがゲーム内の映像と分かるのは、外が夜なのに画面の中は昼間だという所くらいだ。

 初日、俺は歩き方を教わった。
丸一日練習しなければ歩くこともままならないなんて、ゲームとしては難しすぎるんじゃないかと思ったが、係員によると、『開発中の新技術なので、全てを盛り込んで複雑になっているが、市場に出すときには遊び易さを考慮して調整を加える』のだそうだ。
ジャングルのエリア内には、様々な動物が居るようだ。
俺は近付くことさえ出来なかったが、シカやウサギ、サルなんかを見かけた。

 3日目、ようやく普通に動けるようになった俺は、出来る限り広く探索した。
ジャングルの周囲には塀があって、その塀には一定距離以上近寄れないことが分かった。きっとそこがゲームエリアの端なのだろう。

 さらに数日経ち、俺は低い姿勢で歩く事や、右下に示された嗅覚パラメータから、近くにいる獲物の匂いを見分けることが出来るようになった。
一度など、シカのような動物に、ほんの3mという所まで接近することさえ出来た。
まだ、狩りには成功していないが。

 2週目の初め、俺は初めての狩りを成功させた。
ウサギに忍び寄り、タイミングを計った一跳びで襲いかかったのだ。
俺の巨大な爪は過たず獲物を押さえ込んだ。
ウサギは、もがくことさえ出来ずに小さく震えている。
グラフィックのリアルさは、この場面に至っては吐き気を催すほどだった。
獲物を捕らえたらどうすべきか聞いていなかったので、俺はウサギを頭から喰った。
マウスピースからゴリッという触感が伝わり、視野の端に赤い飛沫が散った。
瞬間、ジャングルの映像が消え、スコア表示画面に切り替わった。
いくらリアルでも、これはゲームなのだ。俺は少しほっとした。
けど、スコア表示がスキップなしの3分間ってのは、ちと長すぎるぜ。

 それから俺は、どんどんゲームに慣れていった。
木に登れるようになり、風向きを考えるようになり、瞬時に全力疾走できるようになった。
狩れる獲物も、どんどん増えた。
初めのうちは、色んな場面で突然体が動かなくなるバグがあったが、一日のメンテで大抵解消した。
そして、そういう時が俺の唯一の『不定期休暇』だった。
休みはほとんど無かったが、俺は不満を感じなかった。
この時には既に、ジャングルでの虎としての暮らしこそが、俺の本当の暮らしだとさえ思えていたのだ。

 契約の一ヶ月が経とうというある日、俺は風の中にそれまで嗅いだことのない匂いを見出した。
それは、エリア境界の塀の近くから漂ってくる。
また新しい獲物を導入したのかも知れない。俺は慎重に匂いの源に近付いた。
丈の高い草むらを、音もなく掻き分けて忍び寄る。
エリア境界の塀の手前、少し開けた土地に俺が見つけたのは、
人間の子供だった。

 5歳くらいだろうか、黒人の子供が、落ちている木の実を拾い集めて遊んでいる。
どうすべきか?
これは減点対象となるターゲットか?
これを襲うと、人間による虎狩りイベントでも始まるのか?

 これはゲームだ。
そして俺はテストプレイヤーだ。
全ての分岐を、全てのパターンをプレイすることが仕事なのだ。

そして、正直に告白しよう。
このリアルなゲームの中で子供を襲うということが、どんな体験か、俺は興味を引かれていたのだ。
俺は、跳躍の力を後足に矯めた。



 同時刻、ケニア。
マリア・アゼッティは、姿の見えなくなった息子のジェイを探していた。
気懸かりなのは、家のすぐそばに広がる白く高い塀だった。
息子は、その中に入り込んだのではないか、と思った。

 塀は7ヶ月前に、SAGAとかいう日本の企業が作った。
脇には、窓一つ無い白塗りの建物と、巨大なパラボラアンテナ。
着工時にマリアが受けた説明では、ロボットの遠隔制御の試験場だと言う。
しかしマリアは、様々な種類の動物を積んだトラックが、厳重なゲートをくぐって塀の中に消えて行くのを見ていた。
そして最近は、血に塗れた動物の死骸が運び出されて行くのも。
『危険は無い』と言われたが、何か不吉なものを彼女は感じ続けていた。

 塀に沿って歩くと、昨夜の風のせいだろうか、根本から折れた大木が斜めに、塀にもたれて倒れているのが見つかった。
ここから中に入ったかも知れない。と、彼女は思った。
「ジェイ!ジェイ!」
叫んでみるが、返事はない。
「ジェイ!」
彼女は、斜めになった木の幹にしがみつき、よじ登ろうと藻掻いた。

「ジェイ!」

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