『「佐野先輩とショートショートの競作をするんだって?」
箕輪英太郎が聞いてきた。
「そうだけど・・・それが何か?」
「やめときなよ」
箕輪は心配そうな顔で続ける。
「明石さん、潰されちゃうよ」
深刻そのものの彼の口調に、わたしは噴き出しそうになった。
「潰されるって、何よ。文学の競作よ、格闘技じゃないんだから」
「そうなんだけど、何ていうか、佐野先輩は特別なんだよ」
適当に手をひらひらさせて、わたしはその話を終わらせた。
佐野先輩と競作をすると決まってから、この手の忠告?警告?を何度も受けた。
なんでも、佐野先輩は今までに幾人もの競作相手を『再起不能』にしているという。
話し手は常に真剣に、恐怖におののきつつ、といった様子でわたしにそう語るのだが、わたしは毎回辛うじて噴き出すのをこらえてそれを聞いた。
元々わたしはどちらが上手いか勝負をつけよう、などという気持ちで競作するわけではない。だから、佐野先輩がどんなものを書いてこようとそれ で打ちのめされるという事など無い。
それに…、先輩の作品は幾つか読んでいたが、読み易く引き込まれる文章ではあるものの、正直、“文学”では無いと思っていた。
ヒネリの利いた、ブラックな味の娯楽作品。
面白い読み物ではあっても、それだけ。
私のように、形にならない生の感覚を表現しようとする“文学”作品とは、始めから違うものなのだ。
周囲の目に、先輩の“勝ち”と映ろうが、私にはちっとも構わない。
何故なら、私の気持ちを一番分かっているのが私である以上、私にとって最高の作品は常に私の作品なのだから…』
佐野誠吾の作品『競作』をここまで読んだ時、明石理恵子は文学部部誌を床に取り落としてしまった。
軽い眩暈を感じてよろめいた明石の肩を、誰かが支えた。
「大丈夫かい?」
明石の顔を心配そうに覗き込んだのは、佐野だった。
「心配だよ。僕には、君の気持ちが痛いほど分かるから」
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- 2009/02/23(月) 10:42:29|
- ショート・ストーリーズ
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日本橋の裏店、砥師の左平次は、元は武士との噂もある無口な五十がらみの男。
仕事柄荒れた手先からか、その狷介な人柄からか、ついた渾名が「ささくれ左平次」。
尤もこれは表向きで、長屋の連中がそう呼んだのは、酒浸りな左平次の口癖「酒(ささ)くれ、酒くれ」を皮肉ってのことだという。
折からの不況で、江戸の町は不穏な空気に満ちていた。
どの藩も財政が悪化すれば、まず考えるのがリストラ。
以前なら数十日の閉門で済んだような事でも、お役御免、家禄減封、お家取り潰しなどの処分を乱発した。
結果江戸には食い扶持を求める浪人が溢れ、喧嘩辻斬りの刃傷沙汰が横行した。
武士ばかりではない、ここ数年は農家の潰れも多く、石川島の人足寄場ももはや一杯だと言う。
不思議なことは、食うに困ったなら食う為だけに罪を犯せばよいのに、男は、特に元藩士旗本の類は、不遇をかこつ身の上になると、辻斬り勾引かしの類の一文にもならぬ犯罪に走った。
左平次はその日、得意先に仕上げた刀を届けた帰り、裏店の木戸をくぐる時、ふと目をやった向こうの四つ辻に、すっと身を隠す人影を見た気がした。
腹の辺りから二本の柄が突き出ていた。武士である。
左平次は、入れ違いに駆け出て行った廻り髪結いおかつの娘、おせんに声をかけた。
「近頃物騒だ、遅くなるんじゃあねえぞ」
日頃口をきかない左平次に声をかけられ驚いたのか、おせんは目をまん丸にしただけで、何も言わずに駆け去って行った。
左平次は、ふん、と鼻を鳴らすと、家に向かった。
内に入るとまず木っ端を持って隣の戸を叩く。
隣の夫婦者に火を借りるのだ。
木っ端に火を貰うと手で囲うようにして内に戻り、火皿ばかりの行灯に移す。
面倒なのでかまどに火を入れたりはしない。
夜は冷や飯に湯冷ましの水をかけ、香の物と食べる。
それでも酒があれば充分な食事だった。
左平次はもう十年近くもこういう暮らしをしていた。
今夜は殊に冷え込んだ。
左平次は飯の途中で奥の部屋に掻巻を取りにいった。
せめて湯漬けにすればよかった、と考える。
火鉢に火を入れるとなると、炭代もかかる。費えな季節になったなあ、と溜息がでた。
酒で体が温もってるうちに、と、さっさと床に入る。
隣から楽しげな話し声が聞こえる。今日はよく眠れそうだ、と思った。
風呂に入らず、着替えもせずに、ただ、こればっかりは抜けぬ癖で、枕元に脇差を横たえた。
左平次は、先刻の不審な人影のことなどすっかり忘れて眠りに落ちた。
四つの鐘を聞いた頃から、表が騒がしくなった。
早々に寝入った左平次も、溝板を踏む音に目が覚めた。
腰高障子に灯りと人影がしきりに交錯する。
左平次は表の戸を開けて顔を覗かせた。
長屋の連中が、提灯を手に手に不安そうな顔で行き来している。
「何だ、何があったんだい?」
又隣の大工、繁蔵を見つけて問いかける。
「おかつさん所のおせんちゃんが帰らねえんだ」
「何と」
左平次はすぐに夕刻の不審な人影のことを思い出した。
「勾引かしかも知れねえってんで、長屋の若い者を集めて探しに行こうって話になってんだ」
今、木戸番に掛け合って、番所送りの段取りをしてもらってるのだという。
「何だか皆起きだしてきちまったが、そう大人数で夜中にうろつくわけにもいかねえ。まあ、左平次さんは内で待っててくんな」
そう言うと、繁蔵は木戸の方に去って行った。
左平次は暗澹たる気持ちに襲われた。
彼には娘が帰らぬのが偶然とは思えなかった。
あの侍は、やはり善からぬ目的をもって町角に身を潜ませていたのだ。
左平次は、あの時直感的に何かを感じていながら、なんら娘を救う行動を起こさなかった自らの不覚を悔いた。おせんが、あの時あの武士に目を付けらて攫われたのなら、今頃はもう無事ではあるまい。
あの侍にもっと睨みを効かせて追い払うなり、おせんを一旦帰させるなりするべきだった。
左平次は戸も閉めずに框に腰掛け、首を項垂れた。
目明しの金蔵という者がいる。
女房に楊枝屋をやらせていて、自分は揉め事に顔をつっこんでは名を売るという、いわゆる侠客のようなことしている。
そして時々は、八丁堀の旦那、定廻り同心狭山市右衛門の手先の一人として働いた。
いわゆる十手もちの典型だが、その中ではましな部類だった。
世話好きで親分肌、色んな所に顔を出しては恩を売りたがるが、弱っている者を鴨にすることはない。
左平次もここに移り住むに当たっては色々と世話になっている。
その金蔵の使いの者が、左平次の内の戸をたたいた。
「親分が呼んでるんで、とにかく来てくだせえ」
息を切らした若造は、それっきり何も言わない。
仕方なく左平次は若者について表に出た。
若者は早足で大川の方に向かってずんずん歩く。左平次はいやな予感がした。
火避け地を過ぎて両国橋の袂、千本杭の辺りへ向かう。何やら人だかりが見える。
中に、黒の長羽織に黒鞘を落とし差し、着流し姿の背の高い侍の姿があった。
定廻りだ。
左平次は、悪い予感が当たったことを知った。
人垣の中から、縞の袷に襷掛け、尻端折りに軽衫といういかにもな風体の男が歩み出た。
金蔵だ。
金蔵は左平次を人の輪の中心に招き入れる。
そこには筵が一つ敷いてあった。
小さな丘が真ん中にある。
「悪いな、わざわざ呼びたてちまって。すまねえが、ちょっと、見てみて貰いてえものがあるんだ」
金蔵が筵を指し示す。
「もう察してると思うが…仏が上がった。斬られてる」
おせんが消えて今日で三日になる。
左平次の脳裏には最後に見た娘の怪訝そうな表情が浮かぶ。
金蔵がそれ以上何も言わないので、左平次は筵に近づいた。
定廻りが声をかける。
「金蔵、この者は?」
「へえ、この男は左平次と申しまして、元はさる御家中の研ぎ師を勤めていた職人でございます。
試しの場へもよく通ったようで、据え物の斬り口を見れば、刀の切れ味は言うに及ばず、斬り手の技量や体格までも大概は分かっちまうという名人で」
「ほう」
「なにせ、この仏の有様でござんしょう?この男に見せりゃあ、何か分かるんじゃあねえかと思いまして」
「うむ、そうだな」
八丁堀はさほど関心の無い様子で相槌を打った。
「名人、か…。おやじ、まだ、研ぎはしておるかぃ?」
やや伝法な口調は八丁堀特有のものだが、この侍は無理をしてその口調を真似ているように思えた。
八丁堀じゃねえ、“八丁振り”だな、と左平次は心の中で独り言ちた。
「へえ、お蔭様で」
「今度、俺の差料も見てもらおうかな」
「へえ、それは、有難うございます」
いかにも一応といった感じのそんな会話を左平次と交わし、同心は金蔵に頷きかけた。
それを受けて金蔵が手招きする。
左平次はしゃがみ込むと、一息大きく息を吸い、筵に向かって手を合わせた。
筵の端をめくる。
ぐっ、と喉が詰まった。
そこには、蝋で作ったように真っ白になったおせんの顔があった。
両の目は誰かが閉じてやったのだろう、一見するとただ眠っているように見える。
さらに筵をめくると、まだ幼い、痩せた体躯が現れた。
着物は着けていない。
しかし、視線を下ろしていくと、その白い肌は突然途切れた。
臍の少し上辺りで、娘の細い体は両断されているのだ。
その先には、雑にまとめられた臓物が土に塗れている。
不思議なことに、おせんの顔を見たときは息を詰まらせていた左平次が、その光景には動揺を見せなかった。むしろ、かえって落ち着いた態度で丹念に傷を観察し始めた。
暫く水に漬かっていたにも拘らず、川水の冷たくなる時期だったのが幸いしたか、遺体には腐敗の兆候が見られなかった。
左平次は、斬り口の周辺の皮膚を、時に指で触れるなどしつつ、念入りに調べていた。
「返してようございますか?」
左平次が聞いた。
遺体をうつ伏せに裏返してよいか、と尋ねたのだ。
金蔵が同心に目をやると、同心は無言で頷いた。
「構わねえ、好きなようにしな」
左平次はもう一度娘に手を合わすと、肩の辺りに手をかけ、遺体を返した。
「何か、分かるかい?」
しばらく断たれた背骨の表面を指でなぞった後、じっと、考え込むように動きを止めた左平次に、金蔵が聞いた。
「へえ、…」
急に疲れたようにその場に胡坐をかいて座り込んで、左平次が語り始めた。
「傷は、左背中から、右脇に抜けたものです。
血がきれいに抜けて真っ白になってる処から見て、生きているうちに一刀の下に斬り捨てられたに違いありますまい。
刃がきれいに引かれて、肉が千切られずに斬れている事から、下手人は真剣の扱いに慣れた、おそらく抜刀術、居合いの類を学んだ者と思えます。
だが、臓物や筋の引き攣れ具合から見て電光石火の素早い太刀筋と言うのとは違う。
こういう、」
と、左平次は右手の肘から手首を鞭のようにしならせて振って見せ、
「軽く素早い振りではなく、こう」
言いながら今度は右手を棒のように伸ばして上下に大きく振り、
「大きく重い斬撃でありましょう」
と言った。
「おそらく賊は武士。きちんと斬り方を習った者。大柄で特に手足の骨の太い体格。さらに…」
左平次の目が、その者を遠くに見出したように眇められた。
「この者は生き物を斬り慣れている。
逆袈裟に一刀…。おそらく、これまでにも犬猫の類を幾度も斬っておる筈…。
犬や猫を斬っていると噂のあるようなお侍が居ればそれが怪しい」
金蔵が、したり顔で八丁堀を見上げたが、同心の反応は薄かった。
「左平次とやら、その方の見立ては見事だが…、大坂なんどではそれで下手人も絞り込めようが、この大江戸は武家の国。
大柄で居合いを習っている侍も無数に居れば、その内で犬猫の試し斬りに及ぶ者も星の数ほど居る。
それだけでは、誰が怪しいとも言えぬぞ」
「しかし、狭山様、まずは近辺の犬猫が斬り殺されたと言う噂を訊き回り、その上で体格や経歴から絞り込めば…」
金蔵が食い下がったが、同心が諭す。
「よいか、これを致したのが武家、しかもどこぞの国侍だったとしたら、事は町方の力の及ぶ処ではないのだ。
素性の知れぬ浪人者ならいざ知らず、道場に通う程の武家に嫌疑をかけるということがどういうことか、わきまえねばならぬぞ」
町人と違い、武家を番所にしょっ引いて責める訳にはいかない。
乱心の現場を押さえる以外に、れっきとした武士を捕らえる法は無いのだ。
何をした訳でもないのに、一分貰った。
挨拶をして帰る途中に、金蔵が追いついてきた。
「蕎麦でも喰わねえか」
もちろんこういう場合は屋台ではない。見世を構えた蕎麦屋への誘いである。
少し歩いて「一心庵」という新道に面した小ぶりな蕎麦屋に入った。
金蔵は親父に声をかけると、さっさと奥の小座敷に揚る。
天ぬきと酒を注文し、先に酒が出ると早速左平次と自分のぐい呑みに注いだ。
「今日はわざわざ出てきてもらって済まなかったな」
一口呑むなり金蔵が言った。
同じ長屋の娘の無残な屍体を見せたことを詫びたのか、上役の狭山市右衛門の素っ気無いあしらいを詫びたのか分からない。
「いえ、わっちは、何とも…」
左平次も酒に口をつけた。
日頃の安酒ではない、下りものの、旨い酒だった。
「市右衛門様はあんたの昔を知らねえから、きっと『素っ町人が賢しげに剣術を語りおって』とか、機嫌を損ねちまったんじゃねえかな。
それと、まあ、下っ引き風情がはなから『武家が下手人』と決めて調べにかかると言うのも確かにおこがましい話でな」
それは左平次にも分かっていた。
国侍だろうと貧乏旗本だろうと、主持ちの侍をその主以外の者が裁くことは出来ない。
馬鹿な話だ、と左平次は思う。
結局、政道の裁き切れぬ遺恨を晴らすために、仇討ちなどという制度が連綿と続くことになる。
「だがな、左平次」
無口な左平次の性質を知っている金蔵が、返事が無いのに構わず再び口を切った。
「正直言っちまうとな、今度の調べは、俺はお上に任せる気はねぇんだ。
お前さんも知っての通り、辻斬りのほとんどは下手人があがらねぇ。殊に斬られたのが町人だと、犯人の目星がついていたってどうにもならねえ。たまに人斬りの噂が揉み消せねえほど大きくなった国侍が国に帰されるってのが関の山だ。
けど、俺も知ってる娘が斬られてそれじゃあ、納得いかねえじゃねぇか。
その気になりゃあ、どこの藩だろうとお目付け様に讒書するなりして、詰め腹の一つも切らせる手があるんじゃねえか、と思ってね」
金蔵の気持ちは痛いほどよく分かる。
言ってることも、あながち無理とは言えまい。
讒書が受け入れられて目付けによる調査が行われ、その上でその者の罪が露見すれば、他国者と謂えども罰を受けねばならない。
しかし、狭き門だ。
どこの藩にも面子というものがある。
たとえ以前より悪い噂の絶えぬような武士の事だったとしても、江戸の町人に指摘されて『それでは』と罰するような真似は出来ない。
狭山市右衛門のような同心が、武家を相手の調べに二の足を踏むのもその点なのだ。
幕府の役人が絡むとなれば、事は容易く国同士の政治問題に掏り替えられてしまう。下手をすれば飛ぶのは同心の首の方、となりかねない。
「どうだ、左平次。いや、田丸総兵衛殿、元お武家のあんたから見て、これは無理な考えだろうか?」
斬り口を見れば、武家の仕業と言うことは素人にでもすぐ分かる。
左平次の過去を知る金蔵が、この事件に彼を引き込んだ本当の意図はこの辺にあったのだ。
町方同心を当てにしない調べを行うとあれば、『元』が付くとはいえ、事の落とし所を知る武士の協力は不可欠。
金蔵は左平次に参謀としての協力を求めているのだ。
「無理だな」
祈るような思いを込めて正面から見据える金蔵の目をまっすぐ受け止めたまま、左平次が言い切った。
「下手人の処罰なぞまず無理な望みな上、下手に動けばお前さまの身も危ない」
金蔵が、視線を落とし、ふ、と息を吐いた。
「しかし」
と左平次が言を継ぐ。
「わしは親分さんを見直しました」
「なんだい」
左平次の真意が分からず、金蔵は聞き返す。
「なんというか…、金蔵さんは無理なことはしない人だと思ってました」
「なんだそりゃあ、誉めてんのか、貶してんのか…」
「誉めてるんでさぁ。
無理を無理と諦める生き方を『潔い』と言います。
武士はそれを何より大切にするんで、悪足掻きってもんができない。
それはそれでいいんですが、皆がそれじゃあ、進歩ってものがねえ」
「進歩、かい」
「そうでさあ。悪法も法と澄ましこんでちゃあ、いつまで経っても道理が通らねえ」
左平次は、ぐい呑みの酒を一息に飲み下した。
「今じゃああっしも素町人。親分の悪足掻きに、一丁付き合わせていただきましょう」
テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学
- 2008/12/28(日) 20:18:59|
- ささくれ左平次
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チャットの付き合いは所詮仮想世界のもので、実際のところ話をしている相手が本人の主張する通りの年齢、体重、容姿…性別だと言う保障は何処にも無い。
…素人にとっては。
しかし、俺は内閣調査室から委託された特殊調査員、いわば情報のプロだ。
当然、チャットをする相手のことも徹底的に調査する。
その女は、ある日俺がいつものように自部屋で哲学的かつ詩的な独り言をしていると、『lレミタソ』と言うハンネで「はじめまして〜」と入ってきた。
俺が「よぅ!ネカマ乙」と挨拶をすると、「lレミタソ ネカマじゃないもん、ピチピチの17才女子高生だもん」と返してきた。
勿論俺はそれを鵜呑みにしたわけじゃない。
それ以前に、チャットの相手が17才女子高生だったとしても、俺は何ら特別な感情を抱く訳ではない。
俺は普通に「lレミタソちゃんて、誰似?どこ住み?どこ学?」と、相手に興味のある素振りを一種のサービスとして演じ、彼女も「おじさんガッつき過ぎ、ちょいキモイよ」などとふざけてそれに応じていた。
なかなか個人情報のヒントを洩らさぬ彼女に対し、俺は「あ〜、こういう知的な会話はギャル脳には難解すぎるか。コムスメは本も読んだこと無いんだろう?」などと挑発し相手をムキにさせると言う、高度な会話継続術を使った。
2時間後、彼女が「あ〜、もうどうでもイイわ。自分マジうざい」と捨て台詞を残して落ちたときには、彼女の家の周囲にファミマ一軒とローソンが二軒あること、最寄の駅は地下鉄であること、高校入学時の偏差値が53だったこと等が分かっていた。
その日のうちに、俺はGoogle Mapを駆使して、彼女の住所を十数か所の候補地にまで絞り込んだ。
それから2ヶ月、俺は常にチャットに網を張って彼女を追跡し、時に彼女の友達に近づき、時に知り合いに成りすまし、あらゆる情報を集めた。
世を忍ぶ仮の仕事も辞めてまで俺は調査に没頭し、遂にある日、彼女の正体をつきとめた。
それまでに俺は、女友達との会話から、彼女が実はOLである事と、大まかな会社の所在をつかんでいた。
その日も、彼女の勤務先があると思しき辺りをぶらぶらしていると、彼女がチャットサイトにログインして来た。
覗いてみると、最近特に仲のいい女友達に「今日はお昼を公園で食べてマース」と言っている。
俺は周辺の公園を探索した。
二つ目の公園で携帯をいじりながらサンドイッチを食べているOLを発見した。
見る限り、そのOLが携帯に何か打ち込むのと、チャットでlレミタソが発言をするタイミングは一致しているようだった。
突然、一匹のずうずうしい鳩がパンくずを食べようと、OLの膝に乗った。
彼女は驚いて声を上げた。
直後、lレミタソがチャットで『びっくりした〜。今いきなりハトに襲われたよwwww』と発言した。
「見つけた」
俺は確信した。
lレミタソ:あのねぇ、なんか、いろいろ説教垂れてくれてるけど、アンタにアタシの何が分かるって言うの?
琉浪暇人:色々分かってるよ。○○出版に勤めてることとか、ローソンの大盛エスカルゴ弁当が好きなこととか。
琉浪暇人:毎朝の通勤コースも、乗る電車のドアも知ってるよ?
琉浪暇人:あれ?引いてる?
琉浪暇人:お〜い、落ちた?
lレミタソ:アンタマジ訴えるよ!いい加減にしてよね!!!!
lレミタソさんが退出されました。
琉浪暇人:あれ、落ちちゃった。
琉浪暇人:でも、どうせ見てるんでしょ?ログ
琉浪暇人:どんなにウザいのに絡まれても、落ちたら安全、って思ってるんでしょう?
琉浪暇人:しょせん携帯切ったら無関係、だもんねー
琉浪暇人:……
琉浪暇人:そうかな?
琉浪暇人:後ろ、見てごらん
彼女は今もチャットに来ている。
誰も不思議には思わない。
携帯の機種も昔と同じだし、しゃべり方もいつもの彼女だ。
だが、俺だけが知ってることがある。
あの日、手を振った俺の姿を何と見間違えたのか、彼女は取り乱して走り出した。
前も見ずに車道へ。
一瞬、彼女の姿が消えた。
走ってきたトラックに跳ね飛ばされ、糸の切れた人形のように、はるか向こうに投げ出された。
思いをこの世に残した魂は、様々な形で我々の前に姿を顕わす。
今夜もlレミタソはチャットルームにやって来る。
その真の姿を知るのはただ、封霊探偵という宿業を背負った俺一人なのだ。
テーマ:連作短編 - ジャンル:小説・文学
- 2008/11/29(土) 01:59:30|
- 封霊探偵タカハシ
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どんな犬が一番美味いか、だって?
世間じゃあ、やれ赤犬が美味いだの、チャウチャウが良いだのと言っておるがの。
ワシが人生で一番美味いと思ったのは、韓国でも中国でもない。ここ、日本で喰った雑種の犬じゃったわい。
子供の頃、ワシの家では、ペロという名の雑種の犬を飼っておった。
なつっこい犬での、年中ワシと一緒にいた。まあ、ペットというより兄弟のような関係じゃったわい。
ある日、そのペロを連れて一人で山菜取りに出かけたワシは、山で道に迷うてしまった。
日頃入り慣れた山で何とも不思議なことじゃが、その日は森の深い方深い方へと迷い込んでしまった。
ワシ等はその夜を森で過ごした。
大きな木の根っこに身を寄せて、互いを暖めあって眠ったよ。
次の日も、また次の日も捜索隊は来なかった。
4日目にワシは沢で足を折って歩けなくなった。
それからまた何日か経った。
体の衰弱とともに足の痛みは薄れ、ワシは、とにかくたまらなく空腹だけを感じた。
河原の石の上に横たわったまま、『お腹空いたよ。お腹空いたよ』とうわ言のようにペロに話しかけ続けた。
すると、ペロがいきなり自分の後足に噛み付いて、肉を一塊喰いちぎったのじゃ。
ペロは、血まみれ、毛まみれのその塊をワシの前にポトリ、と置いた。
喰え、と言うんじゃ。
喰えんかった。
ワシは、血まみれで震えているペロの体を抱いて、いつまでもいつまでも泣き続けた。
朝になると、ペロは息絶えておった。
で?その後どうなったかじゃと?
ワシは助かったよ、5日後に救助されてな。
その時、ワシのそばには、ペロの毛皮と骨だけが転がっていた。
美味かったんじゃ。
生で、何の味付けも無く、最後には腐りかけておったが、美味かった。
犬種とか、肉質とか、そう言う事じゃないんじゃ。
愛情の絆の味じゃったんじゃ。
ワシはずっと、泣きながら喰っとったよ。
ん?なぜそんな話をするかだって?
そうじゃなあ、ワシはこの頃、もう一度だけ、あの天にも昇るような美味い肉を味わってみたくなってきたんじゃよ。
犬のお前にこんな話をしても、分かるわけもないがなぁ…
テーマ:ショートショート - ジャンル:小説・文学
- 2008/11/24(月) 20:17:56|
- ショート・ストーリーズ
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